毒親のお陰で偶像崇拝について複雑な想いを抱いてしまっている私とAさん

二日に一度の頻度で更新しているYouTubeチャンネル、「ブレサリアンへの道」のコメント欄をオープンにしたのは、

今年の8月でした。

コメント欄をオープンにする否かについては、悩みに悩みました。

ネガティブコメントを恐れていたからです”(-“”-)”

しかし、いざオープンにしてみると、暖かく応援してくださるコメントばかりでした。

素晴らしい情報を下さる方もいて、

思い切ってコメント欄をオープンにして本当によかったと思いました。

駄菓子菓子( ̄□ ̄;)

とうとうネガティブコメントを受け取ってしまいました((((((ノ゚⊿゚)ノ

あれほど恐れていたネガティブコメント。。。。

駄菓子菓子、

私は自分の心境に驚きました。

1ミリも動揺していなかったのです((((((ノ゚⊿゚)ノ

コメントがすーーっと入ってくるとともに、コメントした人の心境もすーーーっと理解できました。

ネガティブであったにもかかわらず( ̄□ ̄;)

ネガティブと見えるコメントは、その人の迷いであり、

それは同時に私の迷いでもありました。

さて、そのコメントがどのようなものであったかと言いますと、

覚通師の2回目の動画を紹介したところ、

偶像崇拝によって不食に至る考えはどうかと思う。

偶像崇拝は悪魔崇拝である。

自分は仏教も神教も悪魔崇拝であると考えている。

でも、この尼さんを見ると、そんな変な感じはない。

とまあ、こんな感じのコメントでした。

(以下、コメント者を「Aさん」と呼びます)

覚通師さんが絶食中に空腹を覚えたとき、観音様に加持して念仏を唱えることで空腹を克服した、

というくだりを、偶像崇拝と解釈されたようです。

覚通師さんは、観音様をポータルとして、周波数の高い領域に入り空腹を乗り越えた、と私は解釈しています。

しかし、Aさんの気持ちも妙に理解できてしまいます。

と言うのは、私自身、偶像崇拝に関しての線引きがいまだ曖昧であるから、と思われます。

そして、それがどこからきているかを分析してみると、

キリスト教原理主義の母親からの影響にありました。

母親は、聖書の言葉そのものをダイレクトに受けとる傾向のある人で、

偶像崇拝を毛嫌いしていました。

そして、神社仏閣巡りが好きで、お土産を買ってくる祖母の行為も毛嫌いしていました。

忘れもしない出来事は、

祖母が神社で買ってきたお土産で私(幼少時)が遊んでいたときのこと、

それは、割りばしにプラスチックの魚やお米がじゃらじゃらとついた、いかにも子供が喜びそうな代物で、

私は、それを手に持ってふってじゃらじゃらする音を楽しんでいました。

そのとき母親のとった行動とは。。。。

私の手からとりあげて割りばしをへし折りました。

その時の私の気持ちは。。。。

何か私が悪いことをしたという罪悪感が強烈にすりこまれました。

そして、その時は気が付きませんでしたが、

自己否定された気持ち。。。。

深く傷ついたことにすら気づけないまま無意識に罪悪感だけがすりこまれていました。

本当にかわいそうな私です。

今思えば、母は単純に偏狭な心の持ち主だっただけです。

しかし、そんな母親の元で育った私は、

仏像、神仏の絵画、神社のお土産などなど、

偶像と関連づけられるものに対して、

とてもとても複雑な想いを抱いてしまうようになっていたのでした。

なので、Aさんの想いも理解できてしまうのです。

想いというより「迷い」ですね。

Aさんにとって「不食に至る」ということは、純粋に自己の神聖を掘り起こして至るものなのでしょう(その点は私も同じ)

そして、Aさんには観音が多分偶像とうつっているので、そんなものを介して不食に至るのはどうなのか?

というつながりになるのでしょう。

しかし、「この尼さんを見ると変な感じはしない」という発言をみると、

Aさんの中にも迷いとご認識がある感じがします。

「仏教も神教も悪魔崇拝である」という価値観に至っているAさんの発育環境にも、

私の母のような狂信的な人間がいたのかもしれません。

私のように幼少時にすごく傷つき、混乱をひきずっているのかも。

偶像崇拝と、仏像や宗教的絵画の違いを、

ここで私なりにまとめてみたいと思います。

偶像崇拝とは、仏像や特定の人間をあたかも神であるがごとく認めてそれにひざまづいてしまうこと、かな。

それをすると何がまずいかという点は、

1. 自分で考える能力を失ってしまうから、

2. 自分のパワーを過小評価してしまうから、

3. 自分の中にいる神の存在を見失うから、

なので、

自分の中の神聖を認めて強化するためのポータルとして仏像や女神やそれらの絵画を使用することは、

仏像崇拝にあたらない、

と結論づけて、

私自身の幼少時からの混乱や迷いを整理してみました。

一見ネガティブコメントにみえたAさんのコメントも、

こうして幼少時のトラウマを整理するきっかけになったのですから、

感謝すべきコメントでありました(^_^)v

YouTubeのコメント欄から返信しようかと思ったのですが、

この想いを届けるには、すごく長文になりそうだったし、

昨日の時点ではまだ私の気持ちが整理されていなかったので、

反射的に返信するとお互いすごく感情的になって見るも無残な応酬になりかねません”(-“”-)”

コメント欄は、他の人の目にも入るので、

私がAさんのコメントを無視している様子も感じ悪いし、

醜い応酬をさらすのも更に感じ悪いので、

コメントは非表示にさせて頂きました。

ごめんね、Aさん、

って、ここで言っても(*^.^*)

Aさんのお幸せをお祈りしております。


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2件のコメント

  1. ネガティブコメントが本格化するのはブレサリアンが達成してからだと思います。
    こういうことが、信じられない人間には嘘をついているとしか思えないからです。
    理解できない人には隠れて食べているに違いない。または嘘つき呼ばわりされることになるでしょう。

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